本日も、昨日に引き続き、マクドで時間つぶしである。
昨日だけでは、買い物が終わらなかったのだ。
昨日は手ぶらだったので、iPhoneで書いたが、今日はポメラを持ってきた。

 待つのは苦手だ。

 先日、団地の掃除(住民みんなで掃除する)があったのだが、10時集合なので、時間ぴったりに出ていったら、なんと9時に来た人が何人かいて、すでに、かなりの部分をやっていってくれていた。そういうわけで、掃除は早々に終わってしまったということがあった。

で、その次の日も、集会所の掃除(利用者がみんなで掃除する)があったのだが、やはりそこでも、「おばあちゃんたちが、9時に来て、いろんなところやってもらちゃったんです」ということで、やはりやることは、とても少なく、かなり時間が短くすんだ。

むかし、私は町の路面店に勤務していたことがあるのだが、開店は10時だが、開店作業は9時からやっているので、店の明かりをつけると、9時40分ぐらいにもうドアの外で待っている人がいて、9時55分ぐらいになると、何人も並んで、ドアをノックされた。

 そんときは「10時までまってくれよ、なんだ暇な奴らだ。寝てろ」と思っていた(なにしろいつも準備が開店までに終わらないのでこっちはイライラしていたのだ)、が、今では並ぶ人の気持ちがよくわかる。はやく開けて、買い物させてくれ、と思うのだ。

10時集合なのに、9時に来てしまう気持ちが。

とはいえ、自分はお店で働く立場なので、開店時間を早くしろとは、決して思わないけれど。

10時に開店するには、9時から9時半には準備に入らねばならないし、そうすると8時ぐらいには家を出なくてはならないだろうし、そうすると7時ぐらいには起きなくてならない。(まあ、だいたいの場合)

これが、1時間早くなると、6時起きだ。

あ、でも、このマクドはどうなんだろう?

朝から働いているマクドのみなさん、ありがとう。

むー、まだ30分もある……。

アリス・マンローの「次元」という小説は、男女間の腐れ縁的な関係を描いているのだが、裏側には「科学と宗教」との対立もあると私は思う。タイトルからしてそうだが、物理学の知見(あるいはSF的なアイデア)が、さりげなく導入されて、なおかつ、それが宗教性を持つに至っている(ネタバレを避けるため、わかりにくくなってすみません)。ようするにパラレルワールドなんだけど。

それが精神病の妄想の可能性を示唆しながら語られるところが、アリス・マンローの良心なのだろうと思う。登場人物に語らせた言葉「天国も地獄も信じない/(しかし)天国はあるんだ」

精神科医(あるいはカウンセラー)が、無神論の象徴として登場する。客観性を装い、常に理性的で正しい姿勢を保つ。しかし、傷ついた心をほんとうに癒すのは、そんなものじゃない。

 脳に電極を差し込んで、電気刺激を与える実験をしたペンフィールドは、現役のころは、脳で心は解明できると言っていたが、晩年、死ぬ前にそれは間違いだったと主張を変えたそうだ。

 老人になると、どうも唯物論は受け入れられなくなってくるようだ。

 おれおれ詐欺に、老人が引っかかる心理は、単純にいえば、「使い道がないお金を持っている」「世の中の役にはたっていない」老人が、そのお金をつかって人助けができる、という老人が「活躍できる物語」を与えられたことで、生きる喜びを得られる、からだと私は思っている。

 そこには、だまされもしない人生よりも、だまされたとしても胸躍る気持ちになる方がいい、という心理があるのだ。

 宗教を詐欺と同列にして、怒られるかもしれないが、アリス・マンローが「次元」で主張しているのは、そういうことだ。そして、それは、「小説」というものもまた、詐欺であり、宗教のように、騙すことがその存在意義になっていることも示している。

そうか、だから、この短編集は「小説のように」なんだ。
というわけで、ちょうど時間となりました。みなさま、また次回(←いつだよ!)