ジュディ・バドニッツ(岸本佐知子訳)「奇跡」
雑誌は(というかなんでもそうだけど)順序というものがある。
掲載される順番は、ある程度、その雑誌での読ませたい順序を示していると考えられる。よく知られているのは、マンガ雑誌だろう。アンケート結果の人気によって、表紙を飾ったり、巻頭カラーになったりする。
今月の「文學界」2012.11月号の表紙を眺めてみると、「穂村弘+川上弘美+角田光代」の短歌をテーマとした座談会が、一押しで、次が、岸本佐知子の翻訳シリーズ開始。そして西村賢太ということがわかる。本誌を開くと、最初は西村賢太、次に井上荒野で、どちらも短めのもの、そして3番目が、ジュディ・バドニッツ「奇跡」だった。
つまり、岸本佐知子の翻訳シリーズ第一弾がこれなわけだ。
翻訳がこんなに前にくるのは珍しいな。そう思って読み始める。最初の一文からぐっと掴まれる。冒頭を引用、
———
「出てきたとき、ちょっと青くても驚かないでください」
「ちょっと……青、ですか。はあ」
「いや、誇張でなく」と医者は言う。「正常な呼吸が始まる前、まだ全身に酸素が行きわたらない段階の話ですけどね。打ち身みたいな、あんな薄い青じゃない。正真正銘の青です、これくらいの」そう言って、医者は彼女のはいているウエストゴムのジーンズを指でつつく。
———
医者がいっているのは、赤ん坊が生まれてきたときの注意だ。赤ん坊は青いといっているのだ。しかも、「酸素が行きわたらない段階」「打ち身みたいに薄くない」「ジーンズ(しかもウエストゴムの)のような青」
赤ん坊の青色について、短いのに執拗な描写をしておいて、実際に生まれてきた赤ん坊は、青ではなかった。という、このあたりで、どっぷりと物語に引き込まれた。
不可解な物語ではあるが、不明瞭な文章や場面はほとんどない。青についても、ただ「青色」と書くのではないように、赤ん坊や人物の描写も、簡素でありながら、具体的で執拗、そして、そういうことってあるよなという常識的な連想に収まる範囲で人物は動く。たとえばどちらかというと憎まれ役の父親の行動も、たしかにそういう風に行動してしまうかもなというものだ。
ただ、奇妙なのは、赤ん坊の色と行動だけだ。
最後の母の心理と行動も、愛しているものが突如として変容してしまったら……という風に考えると、それほど奇妙ではなく、むしろ説得力を持つ。私しか愛していなかった赤ん坊だったのだから。
訳者解説で、赤ん坊が夫婦の亀裂を表すという風に書いているが、私はむしろ、人にとって見た目がいかに重要か、という話のように読め、また、母は子どものダメなところ、社会との相容れない異質な部分を愛し、父はその逆であるという違いをあぶり出しているとも読め、さらには、自分と似ている子どもに対しての憎悪、つまり自己への憎悪でもあり、そして、人間の内部には、見えない本性が隠されているとも読めた。
いやいや、他にも読み方によってはさまざまな解釈はできる。できるだけでなく、そういう読み方を誘いかけるだけのパワーがこの作品にはある。傑作だ。
というわけで、「空中スキップ」を注文した。届くのがたのしみだ。
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