未だ、アップルはアラン・ケイの夢を見ている
新しいiPadを買った。買った理由はいくつもあるが、大きな理由はTVを観るという目的があった。というか、それを言い訳にして、買うことができた。
去年の夏、つまり、ちょうど一年前に知り合いがiPadを使っていて、私が「ほしいなあ」といったら「3万ぐらいで買えるんだからかったら」とナチュラルに言われて、いや、その3万が出ないからほしいなあといってるのではないか、と悔しい思いをしたのを思い出す。
購入のための努力があったということです。
さて、TVを観るのと、iPadがどうつながるかというと、実はこういう製品が発売されているのです。
SoftBank SELECTION 録画対応デジタルTVチューナー
- 出版社/メーカー: ソフトバンク
- メディア: エレクトロニクス
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私が、使っていたテレビ(といっても10年ぐらい使っていない)は、ブラウン管のテレビなので、このiPadのテレビは、一気にタイムマシンに乗ったような進化をしております。当然ですが、持ち運べますし、番組表もタッチ一つで表示され、選局も、録画予約も、番組表をてってってと触るだけで完了。時間の指定など必要なく、番組の最初から最後までをかってにハードディスク(別売)にためてくれます。ちなみにこのチューナーはiPhoneにも対応しているので、顔面が小さくてもよければ、これでテレビを観ることができます。トイレに持ち込むとか、寝ながらとか、お風呂とか、ベランダとか、まあ自堕落な生活が加速しそうな危険性がいっぱいです。
さて、私が(実は子どもたちもですが)、動画を観るのに一番時間を使っているのが、YouTubeです。音楽PVを観たりするのがメインでしたが、最近は、なにか知りたいと思って検索すると、動画が出てくることも多いです。そして、そういうものがiPadでは、パソコンよりも気軽に扱えるようになりました。ノートパソコンでも、隣の部屋に持っていくには、ちょっと一手間かかる感じがありますが、iPadは、重たい本を運ぶぐらいの手間と気持ちですみます。
ここで、不思議というか、ある種の感慨があるのは、テレビが本のように持ち運べるようになったことです。もう少し言うと、持ち運びできるテレビを買ったのではなく、iPadでテレビを観るようにしたことには、出来ることが実質的には同じでも、気持ちの面で大きな違いがあるような気がします。つまり、iPadでテレビを観るのは、ウェブをブラウズするとか、メールを読むとか、YouTube観るとか、ゲームするとか、そういったことと、テレビを観ることが等価であることを如実に示していると感じるからです。
そして、それらすべてが、電子書籍という一言に収斂していくと私は思っています。
新しいiPad(第三世代)は、パッと見ると、前機種から改悪されたと言える部分があります。大きく、重く、消費電力も上がっています。なぜそんな改悪をしたのでしょうか? 前機種からの改善点はなんでしょう、ディスプレイをRetinaという高解像度にしました。そのために、大きく重く電力も消費するようになったわけです。
いま、ディスプレイを高解像度にすることに、これほど力を注いでるのは、アップルだけだと思います。どうして、そこまでして高解像度にこだわるのか、私にはわかりませんでした。
でも、先日、理解できたと思った出来事がありました。
電子版の文藝春秋を買ったからです。
買ったのは、紀伊國屋書店から、iPhone用のアプリKinoppyを通してでした。
紀伊國屋の電子書籍は、その大半が、ソニーリーダーで読むことができます。すごく便利なのは、一度購入すると、iPhoneもiPadでも、ソニーリーダー、PCでも読めるようになるのです。(Macは非対応)
ところが、この文藝春秋は、ソニーリーダーには対応していないのです。
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/EK-0057237_EBOOK.html
最初は、なんかソニーと仲悪いのかなとかおもっていたのですが、中を開いてみて、納得しました。
巻頭のカラーページの写真が、綺麗だったからです。これは白黒で解像度の低いリーダーでは、楽しむことができない。ということは、モノクロページが主体だとはいえ、すべての内容を紙と同様にできない機械には対応しない、そういうことだろうと思います。
そして、そこから私は、RetinaというAppleの解像度へのこだわりが、印刷物をクオリティを落とさずに再現できるディスプレイへの必要な条件へのこだわりなのだろうと思うわけです。(実は、ソニーリーダーぐらいの解像度では、マンガの小さな台詞が微妙につぶれて読みにくいのです。やはり白黒でもいいからRetinaぐらいの解像度は欲しい)
「電子書籍」というと、本を電子化したものととらえがちだし、そういう文脈でこの言葉は使われます。しかし、アップルが考える「電子書籍」とは、本を電子化したものではなく、あらゆる情報が集まり参照できる本のことなのでしょう。iPhoneにしろiPadにしろ、それ自体が「本」なのだということです。その「本」は、従来の紙の本とは違い、文字だけでなく動画も音楽も表示再生でき、何百年前のものも、たった今起きたことも、知ることができる「本」なのだと。そのためには、印刷物に匹敵する解像度が必要なわけです。
私はここで、思い出します。アラン・ケイのダイナブックのことです。まさしく、iPhoneとiPadは、Dynamic(動的)なBook(本)。1984年にMacintoshが登場したときの夢を、いまもまだ追い続けているのがアップルであり、しかもそれをビジネス的な成功へとも持っていこうとしている。
私はそんなことを感じながら、iPadで「はからさんが通る」を読んでいるのでした。
参考;
「Macテクノロジー研究所:iPadはまさしくアラン・ケイの夢見たDynabookの実現か?」2010/01/29
http://www.mactechlab.jp/from-mactech-with-love/11015.html
「ダイナブック Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF
- 作者: 大和和紀
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1995/06/02
- メディア: 文庫
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