本日も帰省中であるが、明日は早朝より単身帰宅予定である。帰省してしまうと、ある意味やることはなにもないし、実家といっても自然がたくさんあるところではなく、町中のマンションなので、どちらかというと、子どもたちも家にこもりがちであり、旅の疲れもあるからと、DVDを買ってもっていく。

大草原の小さな家」のDVDセットのシーズン1をかお先生がこの正月に買っていたので、今度はシーズン2を買う。約50分のドラマ22話で3千数百円という、びっくりするぐらい安い価格で売られている。1話2百円もしない。それを家電屋でたまっていたポイントを使って買う。なんか得した気分。こうやってポイントためることの動機付けがなされていくのだなあ、と思いながら、これって今洗濯機を買うともれなくDVDが付いてきますっていうのと同じだよなと思ったりする。

さて、この「大草原の小さな家」のテレビシリーズは、ごくごくふつうの家族物のテレビドラマであり、特にこれといった特徴がないのだが、最近テレビを見ていないが、おそらく、このようなごくごくふつうの家族物のテレビドラマってやってないんだろうな、と思う。しかし、これはやっぱり、いつもどこかでこのようなドラマはやっておいてほしいなあ、と思ったりする。

昔は、こういう家族愛をテーマにして、労働やら努力やら思いやりやらを、わかりやすくということは説教臭く、主張するドラマに対して、「けっ」と思っていたりしていたが、子どもをもったりしてしまってこの年になると、とりあえず、子どもにはこういう物をみて育ってから、それに反発するという過程を経てほしいとおもったりしている。
基本的には、家族に何らかの困難が降りかかり、それが家族や周囲の人たちの優しさと、努力や勇気や誠実さによって解決する、という構成をとって1話完結に話が進む。シーズン1は芝居くさかったり白々しかったりするところが気になって、まじめに見ていなかったのだが、今回はそういうところに慣れてしまったのか(決してなくなったわけではなくかなり白々しい演技と物語ではあるが)3話分とも結構楽しめた。というか、あるいみ白々しい物語を、いかに優れた脚本だと思わせるかというテクニックを見せつけられて、ちょっと感動していたりする。それを紹介してみる。

「メアリーの眼鏡」という話では、要約するとこんなストーリーだった。

1。成績優秀だったメアリーの成績がこのところ、すごくよくない。(困難)
2。歴史大会の選抜にでるため、メアリーはまじめに一生懸命勉強している。が成績は上がらない。
3。実は、成績があがらないのは、目が悪くなったからだということがわかる。
4。父とともに、眼鏡を作りにいく。眼医者に行くのに、3日もかかる開拓時代。とても高価だということをメアリーは気にするが、父はメアリーの眼が一番大事という。(思いやり)
5。眼鏡をかけ、喜ぶメアリー、成績ももとに戻る。
6。でも、眼鏡をかけていることをからかわれ、同じく眼鏡をかけている先生みたいに、結婚できないといわれ、メアリーは落ち込む。
7。眼鏡をはずし、枯れ木のなかに隠し、「落としてしまった」と嘘をつく。
8。再び、成績が落ちる。
9。しかし、学校にかっこいい男があらわれ、それは先生のフィアンセだという。
10。復活するメアリー、歴史の大会で1番をとる。

とまあ、わりとストレートな、というか、そこまでストレートな教科書みたいな展開もないもんだ、と思うのだが、最後の最後に、もうひとつ展開がある。ここがすばらしい。

11。メアリーの眼鏡が見つかり、歴史の大会で1番をとったと父に告げるローラ。ところが、後にきたメアリーはうれしそうな顔をしていない。そこで、メアリーは泣きながら、「眼鏡をなくしたのは嘘だった」と父に懺悔し、それを父は赦す。

見えないことが眼鏡によって解決。しかし眼鏡の見栄えの問題が発生、しかしこれも解決。という単純なストーリーが、最後の最後で、メアリーが嘘をつく、それを後悔し正直になる。ということで、誠実であることがテーマのドラマにいきなり変化してしまう。

この脚本には、眼が悪くなるというストーリーと、嘘をつくというストーリーが重層的有機的に絡んであり、互いに伏線となっていて、結果、ご都合主義的な部分が許せてしまう。

「父のホームラン」という話も、やはり、最後の最後に非常に脚本的にテクニカルな解決をみせる。この話は、町対抗の野球をやるという、はっきりいって、この話がなくても全体の流れに全く問題のない、独立した話、おそらく人気がでたので、設定やキャラクターをつかって、なんとか話を組み立てることが、脚本家に求められたのだろうと思われる。なので、話は、悪いライバルがいて、それに打ち勝つという、(しかも最後は満塁になるとか)ありがちな内容なのだが、一つだけ工夫がある。

1。冒頭で、バットを自作しながら、父が「去年はバットがボールにあたって折れてしまったから、今年は折れないバットを作った」という話をする(伏線1)
2。試合中、負けそうになった相手が、タイムをして、水を飲むふりをしながら、ボールを水につけて重くする。(伏線2)
3。その重たいボールのせいで、バットが折れる。(伏線1、2を回収)審判の神父は不正にそれに気が付くが、とくにおとがめがない。(伏線2)
4。最後の最後、満塁で、ローラの父がヒットを打ち、ホームベースまで走る。あわやランニングホームランというところで、ボールがキャッチャーへ戻り、ほぼアウトというところで、キャッチャーに父がアタック。選手全員が入り乱れる乱闘になる。
5。さあ、審判の神父の判定は、セーフ。怒る相手方に、審判がいう。「ボールはどこにある?」黙る相手に審判は、いう。「ボールはここだよ」と手に持ったボールをみせる。ボールは水に濡れたボールだった。

ほかにも、審判が微妙な判定の抗議を、高圧的に一蹴して、審判の判断はゆるがない、という審判の性格づけのエピソードもあり、最後の場面のために、いくつかの場面が周到に用意されていることがわかる。若干、強引ではあるけれど、不正を正す神父と、結局、正義が勝つというストーリーになっている。

野球の試合のという設定では、物語の解決は、勝つか負けるか、というところに、どうしても目がいく。ところが、この話では、勝つのは当然として、どう勝つのか、というところで、結果、不正を正す神父の機転で勝つという、視点をずらしたところに解決を作り、野球の勝ち負けというものから、もっと一般的な、テーマにもって行っている。
眼鏡から正直の勝ち。野球から不正の負け。

そうやって、ドラマを作っていたんだと、気が付いたのでした。