とりあえず、あいかわらずの毎日だけど、お便りができた。


六ヶ所村ラプソディーを観て

「不安はなくならないですよ」

 映画「六ヶ所村ラプソディー」を観て、一番印象に残ったのは、東大教授のこの言葉でした。
原子力を使っている以上は不安はなくならない」
 国の原子力の推進にかかわる立場の人が、そう言ったのです。
 この人は、放射能がどんなものなのかよく知っている人です。映画で見るその表情は曇っていました。
 この映画に登場する人は、どの人も、苦しんでいます。晴れやかな顔をしている人はひとりも登場しません。再処理工場という存在が、だれも幸せにしていないのは、一目瞭然です。それは原子力=核というものが、誰も幸せにしないということの現れだと、思います。
 私は、原発に反対です。しかし、原発を廃止するためになにか行動をしているわけではありません。そういう意味で、この映画でいう「中立」の立場であり、それは結局「賛成」ということになってしまうのかもしれません。
 六ヶ所村の人々は、再処理工場がなければ、働き口がないといいます。どんなに危険であっても、職がなくなっては食っていけないではないか、といいます。
 同じように、日本中で多くの人が、原子力に関係して仕事を得ています。もしかしたら、あなたもそうかもしれませんね。国も電力会社も大量のお金を広告に使っています。都合の悪いことはよっぽどでないと報道されません。しかし、モトをたどれば、それは税金です。
 電力会社も本音では、原発はいらないと思っているはずです。実際には採算が合わないからです。人を雇うにしても、被曝量が一定数を超えれば、被爆していない新しい人を雇わなくてはなりません。一生で被爆できる量、一年間で被爆できる量は決まっています。原発は非常に危険で専門的な知識と高度な技術を必要とするものです。そういった知識と技術を持って、危険な仕事に従事する人をたくさん雇用するコストは、とんでもない額になります。もちろん、現実はそんなことをしてはいないので、事故やトラブルが絶えないわけです。
 廃棄物の処理も大変です。他のゴミとちがって、原発や関連施設から出る核のゴミは、放射能をもっているので、簡単に燃やしたり埋めたりできません(一部は燃やしたりしてますが)。
 特に高レベル廃棄物というのは、ゴミであるにもかかわらず280度の熱を持ち、近よると人が即死するようなもので、埋められるようになるまで、冷却しながら保管しなくてはなりません。その期間は30年から50年といいます。(その後、数百年間から数万年!も放射能は残る)
 ゴミなのに、それを人が30年も冷却し、管理しつづけなくてはならないのです。原発が本格的に稼働しはじめて、まだ50年もたっていないのに。
 冗談もほどほどにしてくれ、といいたくなりませんか?
 もちろん、そのコストは税金で払います。そうでないと、電力会社は原発をもつメリットなんかないからです。
 その核のゴミはいまも増え続けています。

 そのゴミを受け入れ、とりあえず、再利用する形に加工するのが、六ヶ所村の再処理工場です。再利用するために、ゴミからプルトニウムを取り出し、それを燃料としてもう一度使うという計画です。
 ところが、プルトニウムを使う計画はあっても、現在稼働はしていません。当初の目的であった、プルトニウムを使う原発である「高速増殖炉」は、トラブル続きで、まともに動いたことがないからです。高速増殖炉はいくつかの国で開発がすすめられてきましたが、すべて採算が合わないことと、技術的な困難さ(つまり危険すぎる/安全が確保できない)ために、日本以外では計画自体が中止になっています。今現在、日本だけが推進していて、しかも、その実現はかなり難しいと思います。
 今、プルトニウムは使い道がないのです。しかも、再処理にはとんでもないコストがかかります。建設だけで21兆円という額です。
 しかも、再処理には、放射能に対する複雑な処理が必要で、原発では出てこないような放射能があらたに発生し、それがほとんどそのまま外へ排出されるのです。気体として空気のなかへ、液体として海のなかへ。

 他の国、イギリスやフランスの再処理工場の近辺では、子供の白血病の発症率が、他の地域の何倍にもなるという調査があります。排出された放射能は、微量であっても、さまざまな生物の食物連鎖などによって濃縮されて、それが人の口に入ります。六ヶ所村の再処理工場から海に出た放射能は、魚や昆布などのなかに蓄積されていくのです。
 「六ヶ所村ラプソディー」では、再処理工場と白血病の関係は科学的には証明されていない、というテロップがついていました。放射能によって癌や白血病が起きるのは、あきらかな事実であるのに、なぜ証明されないのでしょうか?
 放射能を身体が浴びると、原子のレベルの見えない傷がつきます。原子のレベルなので傷ついても、当人は気がつきません。その傷が遺伝子を傷つけると、場合によっては、普通の細胞が癌細胞に変ります。癌細胞はどんどん分裂して数を増やしていきます。やがて、大量の癌細胞が身体にできると、身体がうまく働かなくなって、病気として気がつくことになります。
 放射能で細胞が傷ついてから、病気としてわかるまで、数年から十数年かかります。
 チェルノブイリで子供に甲状腺癌が明らかになるまでには、5年も6年もたってからでした。それでも、チェルノブイリほどの規模の被害だったから、明らかになったようなもので、微量で、被害が少なければ、事実は明らかにならなかったかもしれません。
 癌の原因にはさまざまなものがあり、何年も前の被害をさかのぼって放射能が原因だと科学的に証明するのは、ほんとうに困難なことで、粘り強い調査研究を何年もしなければなりません。今日、再処理工場から出た放射能が、六ヶ所村の人たちに癌や白血病となって現れるとしても、それは数年から十数年も後のことなのです。

 もう二年も前ですが、こんなニュースがありました。

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六ケ所再処理工場で作業員また体内被ばく(2006/06/25)

六ケ所村の使用済み核燃料再処理工場分析建屋で二十四日、試運転(アクティブ試験)に伴う作業をしていた協力会社の作業員男性(19)の鼻から微量の放射性物質が検出された。事業者の日本原燃プルトニウムなどを吸い込み体内被ばくした可能性が高いとし、経緯や被ばく線量を調べている。同建屋では五月下旬にも作業員が体内被ばくしており、原燃が今月上旬、青森県や村に二度と起こさないよう再発防止策を報告したばかりだった。
原燃によると作業員は同日午後一時半ごろ、建屋内の部屋から出る際、両手や右足から放射性物質を検出。鼻の中からも検出したため、県や村に即時に報告しなければならない二ミリシーベルトを超える量を体内に取り込んだ可能性があるとして、同日午後六時半に公表した。

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 これは、事故の一例です。19歳の青年は、マスクもしていないで、プルトニウムを扱っていたということです。放射能について、作業員も監督官もよくわかっていなかったのでしょう。

「不安はなくならないですよ」

 放射能について、よく知っていれば、私は原発に心の底から賛成などと言える人はいないと、確信しています。
 電気を使う生活に必要だというのなら、その便利な生活と放射能を天秤にかけてみればいいのです。(別に原発がなくても電気はつかえますが)
 CO2の排出だというなら、そのCO2の抑制が地球の危機をどの程度救うのかということと放射能を天秤にかけてみればいいのです。(原発によるCO2削減は全体からみれば微々たるものです)
 職がなくなるというのなら、被曝しながら働かなければいけない職業がほんとうに必要なのか、未来の人々にまで放射能の危険を押しつける仕事とは、いったいなんなのか、考えていただきたいのです。
 私は原発のない、あるいは核兵器のない、つまり不安のない社会は可能だと思います。50年前、原発は暮らしを支えていなかったのです。今からだって工夫すれば、何の問題もなくできるはずです。それで、この豊かな暮らしがまったくできなくなるとは思えません。

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