午前中、おたよりを書くが、しかし没にする。書いたのはこんなの↓。午後は仕事。

 洗濯機がない暮らしというものを、想像できるでしょうか。実のところ、私にはいまいち想像ができません。手で洗っていた頃は、特に冬は冷たい水で辛い仕事だったといいますが、生まれた頃にはすでに電気で動く洗濯機があり、洗濯は機械がするものだと思い込んでいます。
 洗濯機が発明されたのは、18世紀だそうですが、これは「手動」の洗濯機でした。電気で動く洗濯機が発明されたのは20世紀のはじめです。でも電気とともに一般家庭に普及するのは、アメリカでは1940年代、日本では1950〜60年代だそうです。50年ほど前には、電気の機械で洗濯をしている人は、ほとんどいなかったのです。
 出始めた頃の洗濯機は、主婦の労働を軽減する素晴らしい機械として、高価でも売れたそうです。辛い労働から解放される夢の機械だったのでしょう。
 私も主婦のまねごとをするので、気持ちはわかるつもりです。いま、洗濯で一番大変なのは、洗濯物を干すことで、洗濯物を干す機械ができないものか、と思ったりします。天日に干すのと、乾燥機とでは、やっぱり違うからです。
 いまの若者に携帯電話がなくなったらどうか、と聞くと、「気が狂う」と答えるというような話があります。私は携帯をあまり使わないので、その気持ちはまったく理解できません。が、私にとっての洗濯機は、彼らにとっての携帯と同じではないかと思います。
 今の人にとって、洗濯はボタンを押すだけのものです。あとは機械が勝手にやってくれる。それが当たり前です。辛い手作業を楽にしてくれる機械だと、思うことは稀でしょう。洗濯機があることによって、私たちには余分な時間ができたはずです。辛い労働が楽になったはずです。
 けれども、そんなふうに感じることはめったにありませんよね。
 洗濯機が発明されて、洗濯が楽になり、それ以前には2、3日に一回だった洗濯を、毎日するようになったという話があります。人とは、面白いもので、大変な仕事はやりたくないけれども、仕事がないのもつまらない、簡単にできるならどんどんやってしまうのです。
 今、かなりの家庭が共働きになってきています。おそらく、これから夫婦共働きが前提となるような社会になっていくでしょう。
 家電が発明され、普及していくことで、家事は劇的に楽になりました。しかし、それで人々は優雅な生活をはじめた、ということはあまりなく、多くの人々が家の外に仕事をしにでかけるようになりました。昼間の家には誰もいなくなり、暗くなって子供が家に帰っても、まだ誰もいない、そういう家庭が増えているのではないでしょうか(いやみをいっているわけではありません。私の家庭がその典型なのです)。
 そして、今、不況だといわれる時代で、働きたくても働けない人が増えてきているというのです。


 途中だけど、主婦だった人が働きに出ることで、若者は職に就けず、その母親の収入でニートになっているというようなことも考えられるなどということを書くつもりだったけど、収集がつかなくなってきたので、中断。午前中いっぱい使ったのにな。