さて、こちらもあいかわず「この楽しき日々」を読む。この24−25章もすばらしかった。っていうか、同じ手を使っているのだけど。
 まずはプロポースされたヒロインの日常が描かれる。学校に行って、プロポーズのことを同級生に話す。別の女の子がやっぱり指輪をはめていたり、結婚したらどうするのかというようなことなど。ところが、家に帰ると、恋人アルマンゾが家族の事情で突然、郷に帰ることになる。春まではかえって来れないという(これは実は伏線というか、あとの展開の意外性のために必要な情報)。ええ! でも、それはそれとして、ヒロインの生活は続いていく。そして、父さんがまたもや家をうんぬんといったりしたところで、クリスマス・イブになり(これも、もうわざとらしいのだが;それがいい)、吹雪がきそうだから外出するのはやめにして、急遽、教会ではなく家でクリスマスを祝おうということになり、ポップコーンを作ったりする。ポップコーンの場面は割と長めで、でも筆の力があるから読んでしまう(これもあとのための、焦らしだ)。そのうち雪が降ってきて、吹雪きだし、外に出ることができない、という状況で、ヒロインの父がヴァイオリンを弾き、いくつかの歌が引用される。いい場面だ。
 で、ヒロイン=ローラは、いままでのクリスマスイブを思い出したりしながら、逢えない恋人のことは考えないことにしようと思ったりする。でも、最初のころは手紙もよくきたけど、この三週間ばかりは手紙が来ていない。
 ああ、これが伏線だなんて、だれが思う?
 どう考えたって、もう恋も終わりみたいな、遠くの恋人より近くの他人、じゃないか。
 しかし、そこで、だ。
 猛吹雪のなかですよ。ノックの音がして、ドアをあけると! 
 逢いにきちゃったとかいうわけですよ、アルマンゾ。かっこいいね。しびれるね。まったく、しびれる展開ではないか。この作者は計算しているよ。ちゃんとね。どうしたら、人は感動するのか。
 私はわかっていましたよ、でもね、やっぱりじんときますよ。クリスマスイブ、手紙がこないのは旅をしていたから、猛吹雪。これだけ白々しいシチュエーションを揃えておいて、わざとらしくない。いや、わざとらしくてもいい。ローラとアルマンゾが、15年や20年とはいえ、これまでの人生で、どんなふうに苦労してきたか、知ってますからね。これぐらいのことがあっても、いいわけです。ていうか、それぐらいのことあってもいいよ! この人たちには!
 とつい力が入ってしまう。
 参りました。

その他、こちらもクリスマス関係のいい絵本です。

ほしをおいかけて

ほしをおいかけて

三博士の話です。
「はかせたちは やっと わかりました
 まぶしいきゅうでんや つよいぐんたいや いばっているおうさまが
 いるところには このよをすくう あかんぼうは うまれないのです」

もう一冊読まされる。数あるねすみくんシリーズのなかでも、これは傑作です。

最後だけの見開きの両方のページに絵があり、説明文はありません。これで、わかるのかなあ、と不安でしたが、
「あざらし、すごい!」とさとはいっておりました。話がちゃんとわかったようです。もうすぐ4歳だもんな。