昨日、おじいちゃんがやってくる。と、いきなりそれで、ちーがココアを作りはじめる。ココアと牛乳を混ぜて、火をかけ、コップを用意して、みんなをもてなす。おじいちゃんは、もちろん喜ぶ。私も、そんなことができるとはおもってもいなかったので、驚く。本人は得意げだ。

 今日、みーは、十八番の「パン屋さん」ごっこを始める。積み木をパンにみたてて、箱やらイスやらに並べていく。値札をつけ(紙に書いてテープではったりして作る)、手製のお金もある。というか、切った紙とペンを渡されて、「パパ、お金作って!」と働かされたりする。紙にてきとうに100円とか、1000円とか、造幣局の仕事して、お金をつくっていく。で、それをもって、みーのパン屋に買いにいく。買えるだけ買える、いい身分だが、ごっこ遊びだと、あまり楽しくない。あれは、お店の従業員のほうがずっと楽しい。子供たちも、お客はやりたくなくて、誰がやるかでもめたりする。


 小学1年のみーは、算数をならったおかげで、数字がちゃんとしてきた。以前は、パンの値段もメロンパンが100円で、チョコパンが2千円とか、平気だったのだ、最近は、パンは100円、ジュースは110円とか統一され、計算もきちんとして、おつりも、合っている。保育園のころから、暇さえあればパン屋ごっこをしていたおかげで、よみかきそろばんの重要性を肌身に感じていたのか、みーは、算数の問題を解くのも早く、文字を覚えるのも意欲的だ。(ちなみに、みーの通った保育園では文字を教えない、家庭でも同様。なので、みーは文字を見よう見まねで書いていて、学校で習えるのをずっと待っていたのだ←禁止によって意欲が出る例)
 いうことをきかない従業員のさとの扱いにも、このごろは余裕がでてきた(というか、やりたいようにさせているだけともいう)。ひとりで切り盛りするので、「いま しょくじちゅう です」とか「すぐもどってきます」という看板も段ボールで作ったりしている。

 私の家ではTVを観ない。大人も子供も。いちばん映像を見ているのは私で、それはもっぱらYouTubeだ。

 TVが子供にどんな影響をあたえるのか、いい面も悪い面もあると思うが、とりあえず、私の子供たちは見ていない。

 ふと思ったのはTVには、働く大人の姿があまりない、ということだ。
 日常生活をしていると、大人はだいたい働いているものだ。特に、外に出たら、工事現場だったり、バスや電車だったり、お店だったり。TVのなかの大人は、(もちろん、タレントとして働いているて、それが実はとてもたいへんなのだが)、働いているようにはみえず、むしろ、遊んでいるようにしか見えない。あるいは、働いていても、非現実的なスマートな働き方だ。
 ゴミ収集の人の働きっぷりが延々TVに流れるということは、まずない。
 ところが、子供たちは例外なく(私の子供だけでなくみんな)ゴミ収集の人が大好きだ。ゴミ収集車の流す音楽が聞こえると、飛び出していって、眺める。「ああ、かっこいいなあ」と子供は思っているはずだ。なにしろ、私だって、ちょっとかっこいいよなと思うからだ。肉体労働はかっこいい。スポーツ選手と同じだ。

 しかし、TVはそういう、労働のかっこよさをあまり写さない。大人の価値観で作っているからだ。そして、それは相当大きな教育効果があるのではないかと、思っている。

 いまのみーのパン屋にしても、ちーがココアを入れたことにしても、彼女たちは、働くことが喜びになっているし、それを誰かから言われたわけでなく自発的にやっている。
 これが、大人になっても続いていってくれれば、彼女たちは幸せになれるだろうと思う。

 しかし、それはかなり難しいと思うのはなぜだろう。