ポニョは地球温暖化世論へのいやがらせだ

 あんまり変わりばえのしないことを書いていてもなんなので、少しは頭を使ったことでも書いてみる。
 先日(といっても1カ月以上まえのことだが)、映画館で「崖の上のポニョ」を観た。こどもたちも大喜びだし、私も大変面白かった。
 いろいろと矛盾点や不可解な点を指摘する声もあるが、基本的にあの映画は、ストーリーを楽しむのではなく、さまざまなものの動きと、次に何が起きるのか、どうなるんだろうというドキドキ感があればいいというタイプの映画であって、深く考えてはいけないと思う。

 とはいえ、「ああ、宮崎駿はこういいたかったんだろうなあ」と、私はこの映画を観て思ったことがあるのだが、同様の意見が管見すぎて見当たらないので、ここに記す次第。

 宮崎駿は、国民的な作家であり、それが世論の大勢と違うという風にはあまり考えられていないかもしれない。トトロが良い例で、あれは古き良き日本を映像にしたものだと、教育委員会からもお墨付きをうけていそうだ(←あくまで推測)。
 でも、その前の作品である「ナウシカ」やさらにその前の作品である「未来少年コナン」という流れを考えるならば、トトロの世界観というは、現在の日本の状況へのアンチテーゼというか、「おまえらこんな自然とか妖怪とか否定したような生活していていいのか!」という叫びが基礎になっているとおもって間違いない。あれは古き良き時代の日本ではなくて、未来においてとりもどすべき日本、あるいは実現不可能な理想的な日本の姿だといえる。

 トトロ、ナウシカ、コナンと時代がさかのぼるほど、実は時代は高度成長時代へと近づき、そこでは、自然をなぎ倒して、ビルを建て、電化製品を買い、浪費することが豊かな生活であるという価値観が、普通な世の中になっていく。コナンがなぜ、ランニングに半ズボンなのかというと、昔のこどもがそうだったからだ。インダストリアという敵は、もちろん産業社会のことであり、よーするに科学技術が発展して、豊かになったといってるけど、ほんとうにそうか? ということをやっていたわけだ。

 今では、そういう批判をしても、なんだかそれほど違和感はないかもしれない。けれど、私が思い出す限り、その当時に今のように、自然を守れとか、環境問題とか、科学技術が人を不幸にしているとか、主張するのは、かなり嫌がられることだった。

 つまりは、コナンやナウシカでやっていたのは、教科書的な世の中的に正しい主張ではなく、むしろその反対だったのだということだ。だいたい、アニメは一段も二段も下のジャンルと思われていたわけだし。

 なぜそんな昔話をするかといえば、私がこの「ポニョ」に感じたものが、ああ、世間の常識に逆らってるなあ、という感覚だったからだ。

 それは、洪水でほとんど街のすべてが沈んだ場面で、思ったことだ。
 地球温暖化で、都市が海中に沈むぞ、恐いぞ、と喧伝している人が、ノーベル平和賞をとったりしているのが今の世の中だ。私はそれを思い出す。

 ポニョの感想でよく聞かれるのは、どうして、あの危機的な状況で、みんな悲壮にならずに、むしろ呑気に船に乗ったりしているのか、という疑問だが、これはもう、こう解釈するしかないと、思う。つまり、

「温暖化して海面が上昇したって、どうってことない」

 ということではないのか。

 あるいは、宗介という主人公が、ほとんどストーカーとなった妖怪であるポニョを、ほとんどなんの問題もなく、あっさり受け入れてしまうことは、「いろいろ大変なことがおきるけど、まあ、受け入れていこうよ。恐いとか言わずに」

 ってことではないか。

 これは、まさしく、温暖化したら恐いぞ、人類が滅びるぞ、お金を儲けなきゃ大変だぞ、負け組だぞ、みたいな言説があふれる世の中への、アンチテーゼもっとえいば、いやがらせだと、私は思う。

 宮崎駿は、歳をとっても相変わらず、世間の常識に反抗する洗脳をこどもたちに行なっているわけだ。
 それは、温暖化だのCO2削減だの排出権だのと騒いでいる、頭の素晴らしい方々へのいやがらせに違いない。

 ああ、すばらしいぜ。ほんとにすばらしい。
 私は、DVDになったら買って、この映画だけはこどもに何度もみせようと思う。(TVをこどもに見せていないのにね)
 
#ちなみに、海の動きは、形なんか完全に大げさにデフォルメされているにもかかわらず、ああ、そうそう海ってこんな感じだよ、と思うほど、ほんとにリアルでした。ほんともう一回観たい。