今日は仕事は休み。午前中から午後にかけては宿題。進んだつもりが、以外と少ない進行だった。
 それと平行して、あいかわらず、洗濯物、洗い物などしつつ、ネットでIPhone用のアプリなどを物色する。でも、基本的に「どこでもYouTube」として使うつもりのなので、そんなに一生懸命使おうとは思っていない。
 職場のバイトくんに自慢したら、「YouTubeのためだけに、そんなに金使うんですか?」と言われたが、それには「みんな、素晴らしすぎるTV放送を大画面で見たくて、十万も二十万も使っているじゃないか、それと同じだよ。うちにはTVはないけどね」と返答すると、バイトくんはうっとつまる。これは詭弁ではなくて、私が見たいものを見れるのは、通勤時ぐらいしかないからだ。リビングでのんびりできる時間なんてほとんどないし、そういう時間を作らないようにもしている。ていうかリビングないし。
 ただ、iPhoneにお金を月々吸い取られるために、なにかを節約しなくてはならないわけだが、もうそれが向うのは、本や雑誌や新聞だろう思う。ちょうど携帯の基本料金と、新聞の料金とほぼ同じなので、新聞を切れば、すっきり支出のある程度、帳尻は合う。ニュースはそれこそ、電車でチェックすればいい。満員電車で、新聞を折り畳んで読んでいる人がいるけど、あれはかなり迷惑だしね。

 午後、郵便局に振り込みにいく。必要な住所と電話番号をすっかり忘れていて、しまったと思ったのだが、はっと気がついて、iPhoneを取り出して、ネットで調べる。たどたどしく入力してけれど、すぐに目当ての情報が見つかった。WindowsMobile機でもできたが、はっきりいってここまでらくちんではなく、時間もかかれば、表示されても見にくくて、探すのが大変なはず。指で、トントンと拡大、シュバっシュバってスクロールできるのは、圧倒的に便利だ。さらに、保育園へのお迎えまえに、電器屋によったのだが、車のなかでGPSをつかった地図を表示させ、保育園までの経路を表示させてみる。おお、こんな道があったのか、と知らない道を行くことができた。これも他の携帯でできるのだろうけど、カーナビのない車に乗っている前近代的な者にとっては感動ものだった。

 さとは、園外だったせいかはしゃいでいる。しかし、「今日どこいったの?」と訊くと、先生のところへいき「ねえ、せんせい、きょうどこいったの?」ときいている。おまえは自分のいったところをしらないのか! とつっこもうとすると、先に先生に「あ、ここにじぶんのいったところをしらないひとがいる」とつっこまれ、はずかしくて隠れるさと。おいおい。

 ちーみーは、T光さんちに遊びにいき、少し遅れて帰ってくる。電話したけど、パパいなかったでしょ。いやあ、いたんだけどなあ。
 で、ご飯はアサリがたくさんあったので、かお先生指導で、アサリご飯にしたら、これが子供たちには不評。貝が嫌いなのだった。チンゲンサイとターサイを湯通しして、肉といため合わせたのと、粉末の鶏ガラで、タマネギとニラの簡単スープ。
 

この楽しき日々―ローラ物語〈3〉 (岩波少年文庫)

この楽しき日々―ローラ物語〈3〉 (岩波少年文庫)

子供たちは先月から、ずっと読んでいるのだが、私は久しぶりに読んだ。というわけで、最初の方しからないまま、もう佳境である。ていうか、プロポーズするまさしく、ここが一番の感動の場面だった。
 いやあ、おもしれーなあ、これ。ほんと個々の文章もいい。音読するから、音の響きと言葉の選び方の品のよさがびしびし伝わってくる。(日本語なので翻訳の方のセンスですが)。
 しかし、それ以上に、この物語の運び方が、すばらしい。
まず、「歌の学校」が教会で開かれる、というシチュエーションがあります。主人公のローラは歌がすきで、歌の学校に行くのがたのしいわけです。まず、その歌の学校がいろいろと説明したり描写されたりする。で、歌の学校に通うのに、時代が、時代だけに、馬車に乗っているのですが、この馬車は、ローラの恋人であるアルマンゾが運転しているわけです。馬車を自動車にすれば、これは今と変らないですね。
 ところが、この馬車をひく馬が、まだ野生の馬を捕まえた(らしい)人に慣れていない馬で、油断すると、暴走するかもしれないわけです。で、実際、ローラがひとりが乗ったところで暴走ではないものの、走り出し、ハラハラドキドキの場面になったりします。
 いいですか、ここではプロポーズのほのめかしなんてないわけです。読者は、この馬をローラが打ち解けていく過程に目を奪われます。地の文も、馬を中心にすえ、ところどころ歌の学校や、アルマンゾが出てくる。で、ローラは「ほんとは素直なのよ」といい、見事、馬を手なずけるわけです。なんか、ナウシカの冒頭みたいな場面です。
 ああ、よかった。とか、信じれば叶うんだなあとか、ローラはすごいな、とかいろいろ思っているところで、突然、プロポーズ。
 でも馬のエピソードがあるおかげで、アルマンゾとローラどんだけ打ち解けているか、よくわかる。しかも、馬を手なずけている、ことから、男を手なずける、というのが、隠喩だか換喩だか忘れたけど、当然、読者の頭の中にあるわけです。だから、プロポーズが突然なのに、必然なんですね。
 基本的に、事実をもとにしているということですけど、これはストリーテリングの才能がなくてはできないことではないでしょうか。
 ていうか、ほんとにすごいです。

追記:かお先生いわく「でも、まだ、一五歳ぐらいじゃない。物語上アルマンゾは21ぐらいだけど、モデルになった人は10歳ぐらい上だったらしい」ということ。じゃあ、中学生じゃないか。「でも、日本だって昔は、そのくらいで結婚してたしね」うーん、どうして今は遅くなったのでしょうか?「生きるのが遅くなったからじゃない」生きるのが遅いって、先生、どういう意味ですか。