カッコいいこと

もう十年以上前の話だ。

ある雑誌があった。名前を忘れてしまったけれども、今では休刊になっている。仮に「東京ウォーキング」という名前とする(類似の名前の雑誌とは関係ありません;ただ、そういうタイプの雑誌だったということです)。

この「東京ウォーキング」の何月号かが、当時、私の勤めていた本屋の、一番いいところ、店に入ってすぐのところに積まれていた。私がその店に入ったときに、すでにそこにあったと思う。1年ぐらいして、私は雑誌担当になった。店長から、その雑誌が減ったから追加してくれと言われて、電話で追加した。

当時も今も、多くの店で、雑誌は最新号しか置かないものだ。新しい号が出たら、古い号は返品する。その店は狭くて、月刊誌は原則発売日から2週間で返品していた。それ以上置くスペースがなかったからだ。

そんな店で、すでにバックナンバーとなった号を置くのは例外中の例外だし、雑誌の追加注文を出すなんてことをするのもまた、例外だ。しかも、その「東京ウォーキング」という雑誌は、はっきりいって毎号毎号売れ残る、売れない雑誌だった。

なぜ、それがその店で特等席を確保していたか。その雑誌の特集が、「B区」の名所やお店を紹介する特集で、なおかつ、私の店はB区にあったからだ。売れる、と判断して、店長はその雑誌を特等席で売り続けることにしたのだ。

これはすごいことだ。
売れるからといって、すでに何ヶ月か、あるいは1年以上も前の雑誌を特等席に平積みにして、追加する本屋というのはなかなかないはずだ。とはいえ、その雑誌は売れた。気がつくと減っているので、さらに追加の注文をした。切らすと店長から怒られるからだ。

何度目かに電話注文したときに、「もう品切れです」と言われ、雑誌は売り切れて、特等席は別の本に変わった。

それからしばらくして、その出版社から電話があった。その雑誌が、休刊になるので、挨拶に伺いたいというのだ。

もちろん、小さな本屋に、わざわざ出版社の人が休刊の挨拶に来ることなど、初めてだ。
では、なぜ挨拶にくるのか?

「おかげさまで、東京ウォーキング何年何月号は売り切れました。ほとんどをこの店で売っていただきました。お礼に伺いたいのです」

記憶が定かではないが、出版社の人はそう言ったと思う。そして実際に二人、店にきて、店長に頭を下げていた。
B区でたった一軒、その小さな店だけで、売り切ったのだと。

書店員の圧倒的な理想像を、そこに見た気がした。店長はかっこ良かった。見かけはそうではないし、性格は最低と思っていたが、その姿はかっこ良かった。休刊になるような売れない雑誌なのに、その店でその号だけは売り切ったということ、B区にある他の書店は気がつかなかった、その雑誌の魅力を理解し、追加に追加を重ねて売ったということ。ああ、これが書店員だよな、と思った。

日本中どこにいっても、その雑誌は売れていなかったはずだ。だから、全国の売れ筋情報なんかを当てにしていたら、こんなことは無理だ。マーケティングによる統計データでも発見できない。

他では売れないが、B区の書店なら売れると判断したということ、つまり、この書店しか売る店はないということに気がついたこと、そして、雑誌を追加してまで売り続けようと思うこと、それは、その店長のセンスの問題だった。結果として、出版社がわざわざお礼を言いにくるほどの感謝をされる。なんてカッコいいんだと私は思った。

さらにいうならば、その店でしか売れないもの発見するためには、当然、そこに訪れるお客を理解していなくてはならない。その本の価値を知り、そしてそれを必要としたり魅力を感じるお客がいるということを知っていないなければできない。全国で売れているものが、その店で売れるとは限らない。逆も真だ。

大げさだが、私は、小売りというのがどんな仕事なのか、そのときに理解できたような気がした。うまく言えないが、あえていうなら、あるモノを、それを必要としている人に届けることだ。

そして、それをうまくやれると、カッコいいのだということにも、気がついたのだ。