キェシロフスキ語録

「現実はすばらしい。だが、フィルムには収められない」

「シンプルというのが、一番難しい。物語は特にそうだ。(中略)人の本性を知るには困難な状況に置くのが一番だし、人が最も隠したがる部分が垣間みられるからね。人は自分の弱さを恥じる。自分を強く見せたいからだ。そして、そのせいで、人はしばしば孤独になる。問題と向き合う時、人は孤独だ。なぜなら問題があることを人に知られるのを恥ずかしいと思うからだ」

「時々考える。人生で最も大切なものは何だろう? そのために生きるのは…、それは責任感ではないだろうか。責任という言葉の意味は広い。もちろん私たちは自分の人生や行動に責任を持つ必要がある。自分がヘマをしたらツケを払わなくてはならない。それは個人レベルでの責任とでも言うべきものだ。そして、それは一般に広く認識されている。だがもう一つある。ほとんどの人が意識していない責任があるんだ。それは自分ではなく他人に対する責任だ。自分の知人はもちろんそのまた知り合いへの責任だ。行動や生き方は周囲に影響を与える。自分の周囲の人はもちろん知らない人にも、影響するんだ。

「この映画のテーマは”慎重に生きる”ことだ。なぜなら、先のことは誰にも分からないんだ。私たちが何か行動を起こすと、周りの人に影響を与える。自分の行動が与える影響を忘れてはいけないんだ。私たちがどの道を通り、どこに行くとしても同じだ。意識していようが、無意識だろうが、道は、他の人々と交差している。”慎重に生きる”とは、そういうことだ」

キェシロフスキ(ふたりのベロニカコレクターズエディションのDVDインタビューの字幕)

「映画の主題が何であれ、自分自身が感じたものに近い感情を聴衆の中にどのようにして呼び起こすかを私は追求する。バス停ですすり泣く男、人に近づこうと空しい努力をする人々、あるいは安食堂で残り物を平らげる人、自分の手の汚斑を気にする女性、あるいはぞっとする取り返しのつかない不当な行為が人々の傷跡となって残っているのを見た時、こうした時に私は実際に痛みを感じ、無力感と悲しみに襲われる。この痛みを観客に伝えたい。この苦しみを目にしてほしい。こんな思いが私の作品にしみ込んでいったのではないかと思う」

「キェシロフスキ映画の全貌」p.27

キェシロフスキ映画の全貌

キェシロフスキ映画の全貌