昨日は、午前から夕方までは、子どもたち&家族のあつまりで、肉を食ったり、するめを食ったり、酒を飲んだり、滑り台を滑ったり、マシュマロを食ったりする。
その後、家に帰り、お楽しみの「チェブラーシカ」を家族で観る。いい。すごくいい。人形アニメこうあるべし。チェブラーシカ、ワニのジーナ、意地悪なおばあさん、キャラがもう、たまらない魅力だ。でも、ストーリーは凄まじく単純というか安易。てか、よく考えるとなんかおかしい。でも、いい。なんだろう。とりあえず、もう一度観なくては。子どもたちにも大好評だった。
 ちなみに、うちではテレビをコンセントにつないでいないので、じゃあ、観ようか、というと、テレビをセッティングするところから始めるのだが、「ああ、もうなんか、すごくどきどきする」と三人とも、観る前から、わくわくしているのが、わかる。家で映画(TVも)をみるなんでいうのは、何ヶ月に一度のことなので、イベントとして、特別のことなのだ。もう、こちらの思うつぼである。彼らはきっと映画好きになるだろうと思う。なにしろ、たまにしか観ることができないから。その価値は、毎日TVを観ている子どもよりもずっと大きいからだ。禁止とは、魅力を倍増させることなのだ。

今朝も、チェブラーシカの話題で持ち切りである。サントラもすばらしいので、みんなで口ずさむ。
朝食のとき、妻にむかって
チェブラーシカ、一話つくるのに三年もかかってるんだよ」という。これは推測でいっているのだけど、たぶんすごく時間がかかっていることは間違いないので、嘘でもない。
妻は「はあ、そうなの」とふつうの返答。しかし、
みーは
「え?」と反応する。すかさず、
「そうだよ。みーがいま、チェブラーシカみたいなものを作ろうと思ったら、4年生までかかるんだよ」という。
それをきいた、ちーが「じゃあ、ちーが、保育園の年長のときにつくろうとおもったら、いま、完成しているってこと?」と、ちーらしい、超プラス思考のつっこみ。
「ああ、そうだよ」
という。
そこで、みーは、「じゃあ、パパは本作ってるの?」 いやいや、どうしてそうなる。厳しい突っ込みにたじろぐ。みーは、パン屋さんがパンを作って売っているのと同じように、本屋さんは本を自分で作って売っているのだと思っているのだ。
「いやいや、本もね作るのに1年ぐらいかかるから。パパは作ってあるのを並べてるんだよ。でもさあ」と話題を微妙に変え、「なんでも、つくったり上手になるには時間がかかるんだよ。漢字を練習したり、文章を書いたり、絵を描いたり、ずっと長いことやりつづけたら出来上がるんだよ」と、ちょっと教育的なこという。こういう具体的で、間接的(ちょくせつ頑張りなさいとかいわないで、こういうものもじっと長い間がんばったからできたんだ、というようないいかた)にすると、子どもたちはだいたい妙に納得する。
 でも、それを聞いていた、相変わらずプラス思考のちーが、たぶん「チェブラーシカ」は3年だけど、本は1年で、らくちんと思い。本を作り出す。画用紙を切って、テープで本の形をつくる。
ところがしばらくして本(というかノート)が出来上がると、中身を考えるのが大変になり、途中でほうり投げて、遊びにいってしまった。

ま、そんなもんですわな。