どうしてここにたどり着いたのか、忘れてしまったのだけれども、印象深い議論だったので、その一部を引用。

インタラクティヴ読書ノート・別館より
http://www.meijigakuin.ac.jp/~inaba/books/books.htm
山形浩生
「ぼくに とって制度とはそういうものではありません。制度とは、結局のところ、その社会の構成員が自主的に(いやいやかもしれなくても)やることの総和です。法律 なんて、そのごくごく一部でしかありません。ですから制度を変えるというのは、ぼくにとってはまず自分からその行動を起こすことです。現在の著作権制度や ソフトウェアのあり方について疑問だと思えば、ぼくはそれを少しでもよくすると思われる活動をしますし、またそれに関連した団体に寄付をして、現状を変え る努力をします。途上国援助についても、足りないと思っているので、そこそこの寄与を自分の評価に基づき私的に行います。その上で、言論活動を通じて制度 改変の必要性をも訴えます。それに賛同して自主的にやる人が増えれば、制度というのは変わるんです。既得権益がにらみ合いになったり、手詰まりに陥ってい るときにのみ、お上頼みの強制的なてこ入れはあり得る。またマクロ経済政策のような、個人では何ともならない部分もある。でも、個人でできる部分もあるの です。むしろそのほうが遙かに大きいのです。Put your money where your mouth is というのはぼくの大きな行動規範の一つです。なにやら法律によって社会の全員に何かをやらせるのがよいことなら、外部性とか合成の誤謬とかはありますが、 それをぼく一人がやることだってよいことなのです。

したがいまして「制度が変わらないことを前提に自分がどうするか」という発想自体がぼ くにとっては口先だけの人間の逃げ口上でしかありません。制度が変わることを前提として、変えるために自分がどう するか、というのがぼくの論理ではあります。教育機会が平等化されなら税金40%とられていいというなら、所得の40%(のいまの税金との差額)を自主的 に教育機会の少ない人にあげてはいかがでしょうか。多くの人が内藤さんの活動および議論に感じ入ってそのひそみに倣えば、そのとき制度はすでに変わってる んです。制度というのは、ぼくたちの内部にあるんです。ぼくが変わることで、内藤さんが変わることで、制度も変わるんです」