7日は
 あいかわらず体調がすぐれず、午前中は暴睡。その後仕事。まだまだ正月の様子で、荷物も少なく、やることはあまりなし。
 文芸誌が出ているので、文藝、文學界、新潮、群像を買う。すばるが見つけられなかった。
 文學界は、ドナルド・キーンで一色だが、それで充分もとがとれる。新潮は、橋本治野田秀樹。文藝は柴田元幸。とどれも目白押しの正月企画。渋いのは群像だが、やはり巻頭の大澤真幸がよかった。基本的に「資本主義にかわるなにかを見つけ出すために、資本主義の立ち現れたところへ、つまりプロテスタントから資本主義が生まれてくる時代を考えよう」という前書きだったのだが、語り口はとても面白く、かっこいい。読んだことがなかったのだが、大澤真幸の著書を読んでみようと思う。
 ただし、最後にでてくる聖書(マルタとマリア)については余分だと思う。あれは、キリストをもてなそうと思ったのは自分であるにも関わらず、それをまるで仕事のようにつまらないものだとおもって、なにもしないマリアをねたんだマルタの心を戒める言葉なのだと解釈できる。純粋にキリストの言葉に耳を傾けるマリアと、よく思われたいとおもって自分でやりはじめたことを、さらに人にもさせようとするマルタでは、どちらがいいのか。ほんとうならば、もてなすことは、それ自体が喜びのはずであり、であれば、他人にやらせようなどと考えないはずである。(私はキリスト教信者ではありません/念のため)

 同様のことは、文藝にあった柴田元幸氏の
「下訳は使うんですか」ってきかれるけど、「何で他人に自分にかわって遊んでもらわなきゃならないのか」って思う。
 という言葉にも感じる。仕事と思えばつらいし、他人にさせたいと思うだろうが、遊びだったら、他人になんかさせたくないはずだ。
 文藝、柴田元幸古川日出男の対談が載っており、そこでケリー・リンクが面白いと書いてある。読んでないけど、たまたまユリイカの2008_3月号(新しい世界文学特集)を持っていて、そこに載っている。読まねば。

 っていうかこういうことがあるから、雑誌って買い続けなきゃいけないんだよねえ。でもみんな値段が高いからねえ。

8日は、休みなので、さととともに一日。午前中は遊んだり、掃除したりしているうちに、昼寝。起きて、小松菜とツナとにんにくのスバゲッティーを食べ、公園であそび、みーが学校から帰ってくるのを待つ。帰宅途中で、顔をみると喜ぶみー、6時間目まであるちーが帰ってくるまで、また帰宅経路の斜面で、遊ぶさととみー。三人そろったところで、ショッピングセンターに行き、朝の約束の上履きを買う。ちーは緑色、みーは黄色を選ぶ。それから、マクドナルドに行って、ソフトクリームとポテトを食う。マクドナルドに子供を連れて行くのは、教育的に抵抗感があるのだが、なにしろ安いのに負ける。めったに来ないからいいでしょうということで。ソフトクリーム、マックのはサイズも小さくて、子供にちょうど良かったりする。商売がうまい。