さぼって昼寝する看護婦

鷲田清一がこの本で話していたエピソード

臨床とことば―心理学と哲学のあわいに探る臨床の知

臨床とことば―心理学と哲学のあわいに探る臨床の知

ネットで検索してみた
http://www.prati.info/c/back/interview/88.htmlより引用

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「生きる力というのは、自分の存在が他人の中で意味があると感じるところから生まれます。実際私が経験したことですが、手術で入院していたとき、ナースの見習いの女性が毎日お昼ご飯が済んだころ私たちの病室にやってきて、締めたカーテンの中に入っておじいさんの上にうつぶせになって30分ほど昼寝していくんですね。はじめは何て横着なナースだろうと思っていたのですが、いつも朦朧としているおじいさんの目がパッチリし始めた。彼女が昼寝をしている間、廊下のほうを横目で見ながら起きているんです。たまに手で彼女の背中を押している。看護師長に見つからないよう監視しているのです。おじいさんは24時間要介護で見舞いにきてくれる家族もいない。やんちゃなナースが覆いかぶさって昼寝をして、おじいさんは生きる力をもらったんですね。足に人の重みを感じ、自分が他人を支えていると感じた。また、自分が見ていないとこの子はだめになると感じた。つまり、自分の存在が他人にとって意味があると感じられるとき、人はこんなにも力が出るのだということですね」

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そういえば、マドンナが自身が監督した映画の予告編 http://www.hex-pic.co.jp/wonderlust/top.html
で、「人生はパラドックスだ」といっていて、ちょうどこのエピソードを読んだころだったので、不思議と連想してしまう。

ワンダーラスト マドンナ初監督作品 [DVD]

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 まじめな看護婦だったら、どうだろう。あるいは、このエピソードをうけて、看護婦さんはどんどん昼寝してくださいと指導するべきだろうか。もちろん、そういうわけにはいかないだろう。

 子育てとか教育も同様で、一生懸命、子供に手をかけることはとても大事だし、愛情がなければ子供はうまく育たない。けれども、自立して、親から離れなくてはいけない以上、手をかけすぎてはいけない。
 親がだらしないと、子供はしっかりする。というのも正しいし、
 親がだらしないと、子供もだらしなくなる。というのも正しい。
 矛盾している。

 子供に自立を促すには、親が子供にいろいろなことを任せていくことが大事だが、究極的には、すべてを任せなくてはいけない。そのためには、親はただ見守っているだけでもダメだ。なぜかというと「見守る」ということで、子供は親に頼ってしまうからだ。だから、「すべてを任せて、見守る」のではなく「すべて任せて、見守りもしない」ということをやらなくてはいけない。やらなくていけないと書いたけれども、これは、要するに、なにもしない、とほとんど同じだ。

 子供を自立させるのが教育ならば、親や教育者は「教育者はまったくなにもしない」という機会を子供に与えなくてはならない。しかし、それを教育というのだろうか?
 逆説的。

 つい最近まで、私は「矛盾」は解決しなくてはならず、「逆説」はなんとか妥協点を見つけなければいけないことだと思ってきた。けれども最近は、そう思わなくなってきた。

 「矛盾と逆説」こそ、この世界の本質ではないのか。
 とにかくそれは、受け入れざるおえない前提であり、出発点なのだ。すっきりとした解決はない。

 そんなふうに、思っている。